レマン湖の北岸に位置し、背後にアルプスの雄大な景色が広がるヴヴェイ。
世界的食品企業ネスレの本社があり、19世紀には鉄道の開通で観光地としても発展。ベラ・エポック時代の華やかさが今も息づいている街です。

 

20世紀に数多くの喜劇映画を残し、「喜劇の王様」の異名を持つチャールズ・チャップリン(Charlie Chaplin)は、この街ととても深い関係があります。

彼は、人生最後の25年間を、スイス・ヴヴェイで過ごしました。

チャップリンは、俳優、監督、プロデューサーのすべてを自らこなし、生涯81本の映画を制作しました。 常に、次作が最高傑作になるように努めたこと、言葉の壁を越えて世界中の人々に感動してもらいたいと、演者が言葉を話さないサイレント映画を撮り続けたことでも知られています。

1950年代初頭、アメリカでの赤狩り(マッカーシズム)旋風の影響で政治的に追われるような状況に置かれると、1952年、ロンドン旅行中にアメリカ再入国が拒否され、アメリカを離れることを決意します。
そして、翌1953年、ヴヴェイ近郊のコルシエ=シュル=ヴヴェイ(Corsier-sur-Vevey)にある邸宅「マノワール・ド・バン(Manoir de Ban)」に家族と共に移住しました。

ヴヴェイでは、自然豊かで静かな環境の中で、映画製作からは距離を置き、家族との穏やかな生活を送りました。また、自身の伝記映画の執筆や音楽制作なども行いました。

チャップリンは、ヴヴェイ(スイス)を「平和な隠れ家」と表現し、地元住民には、「親しみやすく穏やかな人物」として知られ、愛されていました。
スイス市民権は取得していませんでしたが、最期までスイスを「本当の故郷」と語っていたそうです。


ヴヴェイの町全体が、チャップリン愛に溢れています

 

チャップリンは1977年12月25日、ヴヴェイの自宅で亡くなり(享年88)、コルシエ村の墓地に埋葬されました。
翌1978年、彼の遺体が盗まれるという事件が発生します。犯人たちは身代金を要求しましたが、約2か月後に犯人が逮捕され、遺体は無事に発見されました。その後、彼の棺はコンクリートで囲まれた墓に再埋葬されました。

チャップリンが家族と住んだ邸宅「マノワール・ド・バン」は、2016年より、「Chaplin’s World(チャップリンズ・ワールド)」という博物館として公開されています。(↑3枚目の写真の奥に見えるのが、チャップリンが家族と暮らした「マノワール・ド・バン」)

映画セットの再現や彼の人生をたどる展示などがあり、世界中のファンが訪れています。

 

 

この博物館は、チャップリンの映画とヴヴェイでの私生活に触れられる体験型で、非常に見ごたえがあります。
わたしも既に2回訪れましたが、毎回、新たな感動があり、大きな満足感が得られます。

これを書いている今も、もう一度訪れたいと考えている

 

最寄りのバス停は、やはり(オードリー・ヘップバーンのトロシュナと同じく)「Chaplin」!

 

Références (参考文献)

『Chaplin: His Life and Art』(David Robinson著、1985年)
『My Life in Pictures』(チャップリン自身による回想書)
IMDb(Internet Movie Database) – Biography Section
Chaplin’s World(チャップリンズ・ワールド)公式サイト

Direction (アクセス)

「Chaplin’s World」(チャップリンワールド)は、 Vevey駅前のバス乗り場から212番のバスで約10分「Chaplin」下車

 

チャップリン夫妻の墓があるCorsier-sur-Veveyの墓地 は、「Chaplin’s World」(チャップリンワールド)から徒歩7分ほど

 

ヴヴェイ(Vevey)中心街の銅像の湖畔に立つチャップリン像(冒頭の写真)は、駅から徒歩10分ほど、湖沿いにあります。