ローザンヌにあるボーリヴァージュ・パレス(Beau Rivage Palace)は、世界のセレブリティに愛されたレマン湖畔にあるクラシカルなホテル。
フランス解放後、60代を迎えていたファッションデザイナーのココ・シャネルは、スイスへ移住し、このホテルを拠点に働きづめだった心身を休め、ゆるやかな時間を過ごしました。
香水にドレス、ジュエリーなど、次々とファッション界に革命をおこしたココ・シャネルは、フランス南西部の街で生まれ、孤児院で育ちます。好奇心旺盛で時代感覚に優れ、仕事が大好きだったシャネルは、お針子からはじまったファッションの仕事で、帽子や婦人服デザイナーとして頭角を現します。
ジャージー素材のドレスやキルティングのバッグなど、当時、女性が身に付けるものとしては珍しかった実用的なアイテムで、やがてモード界を席捲することになります。
しかし、第2次世界大戦後、ナチスの将校と親密な関係にあったことが報道され、フランス中でバッシングを浴び、故国を離れてローザンヌへと移り住んだのです。事実上、亡命のような形で移り住んだ生活は、1945年~1954年頃の10年ほど続いたといわれています。
当初、ローザンヌやモントルー、ロカルノなど、スイスの複数の場所を転々としていましたが、最終的にローザンヌ(ウシー)のボーリヴァージュ・パレスを気に入りました。
この間、シャネルは自身のブランド活動を休止しており、かなり隠遁的な暮らしをしていたとされます。しかし、この期間に蓄えたエネルギーと反省が、1954年のコレクション復活に繋がったとも言われています。
70代で満を持してモード界にカムバックし、再び多忙な世界へと舞い戻るも、パリでは「ホテル・リッツ」に滞在し、ローザンヌの森に家を購入するなど、心の故郷はいつもローザンヌにあったことが伺えます。
パリで87年の生涯を終えると、ローザンヌの中心地、ボワ・ドゥ・ヴォー墓地(Cimetiere du Bois-de-Vaux)に埋葬されましたが、これも本人の遺言でした。
大理石の墓碑は、今でも彼女が大好きだった白いカメリアの花で美しく飾られ、彼女のラッキーナンバーである「5」をあしらったシンプルで洗練されたデザインです。
シャネルが愛したこの場所(ホテル「ボーリヴァージュ・パレス」周辺)は、ローザンヌ中心街から離れたウシー(Ouchy)という湖畔の街にあります。
ローザンヌ駅からメトロM2の終点「Ouchy–Olympique」駅に広がるローザンヌで最も“湖らしさ”を感じられる、風光明媚なエリアであり、「オリンピック首都」として知られる、ローザンヌにおいて重要なスポットでもあります。
「ボーリヴァージュ・パレス」をさらに東に進むと、国際オリンピック委員会(IOC)の本部とともに、世界最大かつ最も包括的なオリンピック博物館があります。
筆者:アレッサンドロひとみ
Références (参考文献)
『ココ・シャネル 伝説の軌跡 (マーブルブックス)』ジャスティン・ピカディ
『ココ・シャネルが教えてくれること』カレン・カーボ
Direction (アクセス)
Hôtel Beau-Rivage Palace(ボーリヴァージュ・パレス ホテル)
地下鉄(Métro)「Ouchy-Olympique」下車、徒歩6分
Cimetière du Bois-de-Vaux(ボワ・ドゥ・ヴォー墓地)
Lausanne駅(Lausanne gare)のバス停1番乗り場「Maladière」行きに乗ります。
終点の「Maladière」で下車、徒歩3分
シャネルのお墓は、墓地内の住所「第9区130号」です。
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