スイスの南西に位置するヴォー州は、北にヌシャテル湖、南にレマン湖を望む、緑あふれる美しい風景の街です。
ジュネーヴから列車で州都ローザンヌに向かう、その少し手前にある小さな町モルジュ。
オードリー・ヘップバーンが過ごした家は、この郊外のトロシュナ村にあります。
世界中の誰もが知る映画スターとなったオードリー・ヘップバーンは、有名人としてではなく、一人の村人としてそっと見守ってくれたこの村の人々と、美しくのどかな土地を愛し、1993年、最期の時を迎えるその瞬間まで、家族とともにここに暮らし続けました。
「1963年から1993年までオードリー・ヘップバーンがここに住んでいた」
『ティファニーで朝食を』などの映画に出演し「永遠の妖精」といわれ、日本でも絶大な人気を誇ったオードリーは、『ローマの休日』でオスカー賞を獲得後、メディアの取材を逃れるように、ルツェルン郊外のビュルゲンシュトックに家を見つけ、俳優のメル・ファーラーと小さな教会で結婚式をあげました。
その後、トロシュナ村に家を購入し「ラ・ペジブル( La Paisible)」と名付けたその家で、その名の通り穏やかな時間を過ごしたのです。(現在は、個人所有のため、内部の見学などはできません)
『ラ・ペジーブル( La Paisible)』=「穏やかな、安らかな、平和に満ちた…」
メル・ファーラーと離婚後も、息子のショーンとこの村での生活を維持しました。
イタリア人精神科医のドッティ氏と再婚し、一時ローマに暮らしますが、トロシュナの家は別邸として残し、1975年に再び戻ると、1993年に自宅で息をひきとるまでこの家で暮らし続けました。
オードリーはこの邸宅で多くの時間をガーデニングに費やし、レマン湖を望む葡萄畑が広がるお気に入りの散歩道を、毎日愛犬と一緒に散歩していたようです。
映像作品としての彼女の遺作は『オードリー・ヘプバーンの庭園紀行(Gardens of the World with Audrey Hepburn)』ですが、このトロシュナの邸宅で植物を愛でるオードリーの、穏やかに過ごす様子をみることができます。
オードリーの葬儀が行われた村の教会
トロシュナ村の教会で行われた葬儀には、村民1600人と家族、アラン・ドロンやロジャー・ムーアらの大物俳優たちに見送られ、厳粛なものになったと伝えられています。
晩年、ユニセフ親善大使として精力的に活動したこともよく知られていますが、アフリカやアジアの難民キャンプを訪れた際も、スイスの自宅に戻ると支援のための広報活動を行っていました。
オードリーが暮らした家から徒歩3分、村役場近くに「オードリー・ヘップバーン広場」があります。2012年、オードリーの息子たちによってに寄贈された、オードリーの優雅な表情を再現した青銅製の胸像が設置されています。
また、その広場のすぐ横にはバス停があり、そのバス停の名前は「Audrey Hepburn」です。
村民にとって、オードリー・ヘプバーンがこの土地を選び、愛してくれたことが大きな誇りだったことが窺えます。
こだわりの食料品や雑貨店、チーズショップ、酒屋が立ち並ぶ近郊のモルジュへもよくショッピングに出かけたといいます。
中心街は中世の面影を色濃く残しています
大通りで開かれるマルシェとミニシアター「シネマ・オデオン」は特にお気に入りでした。
Références (参考文献)
『オードリー・ヘップバーン物語〈上〉』
『オードリー・ヘップバーンという生き方』
Direction (アクセス)
モルジュ(Morges)駅から702番バスで「Place Audrey Hepburn」停留所まで直接。徒歩でも約30分ほどです。
ここまで来ると、「ラ・ペジブル( La Paisible)」、オードリー・ヘップバーン広場、トロシュナ墓地
すべて射程圏内です。